SS~いじめ・パワハラについて考察するブログ

いじめやパワハラについて考えていきたいと思います!

(若干改訂)いじめは天の与えた試練という考えについて

 

新しいことを思い付いたので久々に書きます。テーマはタイトルの通りです。

よく「いじめは天の与えた試練だ」という言い方がされることもあります。「天」の代わりに「神様」という言葉が使われることもあります。その人が成長するために必要な要素がある場合、それを学ばさせるために天や神様が逆境を与えるというような考え方です。

「いじめは天の与えた試練」という考え方のパワーは結構あります。そう思っていじめに耐えることができたという人もいると思います。実際それによりいじめられる前より何か成長のようなものを遂げられたら素晴らしいことですよね。でもそう思えない人もいると思います。またそう思うんだけどやり切れない人とかも。そういう人は「意志が弱いんだ」とか「結局弱い」とかで片付けられがちかもしれません。でも必ずしもそうじゃないと思うんです。「いじめは天の与えた試練」という考え方(命題)にも問題があると思うのね。

この命題は少し悪意的に換言すれば「結局お前が悪いんだからこうなる。嫌なら変わるしかない」という押し付けがましい意味にもなる。そこには社会に適合しより多くのマネーを稼げる人間にのみ価値があるとする一種の立身出世主義のようなものがあると思う。日本では江戸時代に「心学」(しんがく)という立身出世主義っぽい思想を幕府が大々的に推し進め(石田梅岩とかが有名です)、明治維新以降はその傾向が更に強くなった。今度お札の肖像になる渋沢栄一さんなんか結構その権化ですよ(笑、少なくともそういう一面はある)。そういう精神風土がある日本ですから「いじめは天の与えた試練」という命題にも社会中心主義の要素はかなりあるんじゃないかと思う。

でそれはわからないけど、ともかくこの命題も欠けたところはある。だからついて行けない人も少なくない。この命題は大変魅力的でもあるのですが、一方視野の偏った、人間そのものをあまり大事にしていないような感じもあると思います。みなさんはこの命題をどう思われますか?

 

で私もこの命題について考えて、思いつきました!(笑)まあこれは私のブログなので私の考えを書く、だから少し上から目線に感じるかもしれませんが、私のは適当な思い付きなので、これを一つのきっかけとして後はみなさんそれぞれ考えて下さい。

 

まずこの命題の本当の真偽はわかりません。天や神様の存在がわかりませんから。天や神様の存在がわからない以上、この命題の真偽などわかるわけがない。

でより重要なことは仮に天や神様の存在を仮定したとしても、この命題の真偽はわからないということです。まあこれは言うのが非常に難しいんだけど、天や神様が存在したとしても、一人の人間の生き死にや成功不成功に関心を持ってるとは言えないような気がするんです。例えば地球が出来てからだけでも46億年くらい経ってるんだけど、人間は長生きするようになったと言ってもせいぜい平均70年とか80年でしょ。地震とか交通事故とかで人間は非常にショックを受けてるけど、もし天や神様が人間の生き死にに価値を見ているのならそういう次第にはしないように思う。西洋でも善人は早死にするという言葉があるとかないとか。でもこれは絶望ではないと思う。天とか神様にとって人間は価値があるんだよ。じゃないと作らない。しかもただ作るだけじゃなく天や神様を認識しうる存在として作ってるんだから結構価値あるものとして作ってると思う。ただその価値を生き死にとか成功不成功に置いてるわけじゃないんじゃないかねぇ?と。もし成功に価値を置いてるなら大抵の人間に成功させるだろう。でも成功できる人間はごく一部。しかもだよ、何が成功かわからないという面もあるんだね。例えば織田信長とか成功者なんだろうけど、最後は部下に反乱起こされて燃え盛る城の中で念願叶うことなく切腹している。一番神様に愛された存在として西洋ではダントツのイエスキリストは死刑で死んでるんだよ。それなら安定した職業があって健康でまあ仲のいい家族を持ってる普通の人の方がよっぽど成功してるかもしれない。

「いじめは天の与えた試練」は社会に適合した人間になれば君は苦しみから逃れられると言ってるところがあると思う。そういう意味を薄々感じた時に「うるせぇよ、ほっといてくれよ」「どうせ自分は駄目なんだよ」とかいう気持ちが生まれてきたりしうる。しかしこの命題をそういう意味で捉えるのは「生は価値であり、成功は価値だ」との前提がある。大人になるのが辛いのは当たり前だ。お前は甘いとか世間がわかってないみたいな(笑)。しかし長く生きるとか成功するとかは人間にとっては価値かも知れないが、天や神様にとっては多分価値ではないように思う。だから天や神様の存在を前提としてもこの命題の真偽はわからないと。

じゃあ天や神様にとっては何が価値なのかと言えば、よくわからないが、多分過ごすこと、何かを経験しつついろいろなことを感じることじゃないのかと思う。例えばいじめられて学校や仕事に行かず家に引きこもってたとする。社会的には全くの価値がないとされるものかもしれない。だが本当に価値がないのだろうか。今仮にその状態にある人はよく考えてみて欲しい。確かに問題はあろうが、何か感じるものはあるでしょう。それは生まれて来なければ味わえなかった。だからそれは価値じゃないのかねぇ。

ともかく人間は社会以外に生きる場所がないから社会のことしか頭にないけど、社会とか儚いものでもあるだろう。この前の東日本大震災とかはその一端を見せたものだか、太平洋に大きな隕石が落ちたりしたらあんなのじゃ済まないんだから。でも東日本大震災で死んだ人の人生が価値がないかと言えば全くそうじゃない。価値は長いとか成功したとかにあるわけじゃないからね。

まあこんなこと言ったら相当突き放しているようにも見える。人間の生の長さとか成功とか価値じゃないとか言ったら、いじめによる自殺や引きこもりを推奨してるようにすら見えるかもしれない。しかしこう言ったら逆に楽にならない?何で死ぬ必要があるの?まだ与えられた命があるなら死ななくていいじゃん。死ぬのは自分の中で成功=価値が前提されているからじゃないかなあ。このままじゃ成功しない、みんなにも馬鹿にされる、だから死ぬみたいな。でもそれは一人相撲に陥っている危険がかなりある。天や神様はいじめられてふさぎ込んでいるあなたも許容してるよ。だってそれも感じることであり、経験であり、生まれて来なけりゃなかったものだから。あなたの命はあなたにしかない。だからその与えられた命と時間でもっといろんなことを感じて経験する方がいい。いじめられてふさぎ込んでいるカッコ悪い自分、それを一旦受け入れて、じゃあ自分は本当は一体何がしたいんだろうかと考える。おもしろい漫画を書きたいとかおいしいケーキを作りたいとかかもしれない。外国に旅行したいとかかもしれない。困っている年寄りや子供を助けたいとかかもしれない。例えば児童虐待された子供を支援するnpoとかも人が足りてないんだから。むろん中にはこのままずっとボーッとしておきたいとかいう人もいるだろう。でもしそうなら今はそれでいいんだろう。でもともかくそうやってやりたいものが見えたらそれをするために必要ことというのが見えてきて、あなたはあなたの人生を作り始めるんだよ。まあボーッとするはヤバいと言えばヤバいけど、プレッシャーがなくなったら選ばれることがかなり少なくなる。十分休めば動きたくなるのは生物だけでなく物質一般にすら言えることだから。いつも自分を追い詰めたらずっと寝ていたいとかなるかもしれないが、◯◯しなきゃならないの呪縛から解放されて本当にずっと寝ていたら動きたくなる。ほんでそこで自分がしたいものを考えてみるんだよ。この探すということはやる価値があると思う。だってそこがあなたの命の、他の人じゃないあなたの人生の一つのリスタート地点になるんだから。そうやって与えられた時間でいろんなことを感じて経験する、これが人間が自分の人生を作っていくということじゃないのかなあ。天や神様が仮にいるとすれば価値を置いてるのはそこであり、単に長生きすることとか社会的に成功することとかじゃないと思う。

まあいいや。よくわかんなくなってきた。でもいじめられたらやっぱり不快だからその不快から逃れたいと思うのは普通だと思う。そこで今日の本題の「いじめは天の与えた試練」という命題に戻る。上記したようこの命題は絶対的に正しいかはわからない。だから強制されたものではない。従っても従わなくてもいい。しかしここからまた一つの展開が出てくる、つまりこの命題について最も重要なのは天や神様とかがいるとかいないとかこの命題に従うべきだとかインチキだとかじゃなく、これをどう生かすかということなんだよね。この命題自体を絶対的な価値を持つものではなく、言わば一つのニュートラルな機械のように捉えることができるんじゃないかということね。だって実際この命題を使ってよくなっている人もいるんだから使い道はあると思うよ。

むろん絶対活かさなければいけないということはありません。でも生かせるなら生かした方がいいよね。

 

ちょっと今日は抽象的すぎるかもしれないね。多分まあまあ大きいテーマですからね。だから話をいじめられた場合の「いじめは天の与えた試練」という命題の効用に絞りましょう。

 

しかし時間が……。まだ半分も行ってないんだよ。というわけで続きは近日中に書くことにします。仮に読んでくれてる人がいるとしたら本当ズコーッと思うけど(笑)すいません。本当近日中に書きますから。でも今日書いたのもあまり他の人は言ってないので少しの価値はあるかもしれませんよ。