SS~いじめ・パワハラについて考察するブログ

いじめやパワハラについて考えていきたいと思います!

学校に行かないということ

今日はこのテーマを思いついたので、これについて書くことにします。

いじめられて学校行かない人は、いつもそのことが心にのしかかっていると思う。まあ慣れてる人もあるかもしれないけど、それでもやっぱり何か重い気持ちはあるんじゃなかろうか。しかし一方無理に学校に行き続けて自殺したというニュースは毎年複数報じられる。

いじめと学校というのは考えなきゃならない問題ですよね。私はこう見えても半年くらい中学校の臨時教師したことがあって、その時受け持ったのが「教室に入れない生徒が行く教室」だったのね。昔で言う「保健室登校」みたいの?不登校一歩手前の子が10人前後いた。まあそこに来てた人達はある意味良かったよね。避難したから。でも避難できずに行ってる人や避難しすぎて家にこもったりしてる人もいるかもしれないので、今日はこのいじめと学校というテーマについて考えてみたいと思います。

 

まあ学校行ってる人は(特に中学生くらいまでは)学校が全てというところはあると思う。ここ数年(スマホが普及してから)はSNSがすごく発達したから少し変わってきてるのかもしれないけど、学校という存在は大きいと思う。全てではないけと7割くらいはあると言うか。

でも一番初めに言っとかなきゃいけないのは「学校=全て、世界」というのは錯覚だということです。学校なんて社会のほんのほんの一部分でしかない。これが前提。そして前提だけど非常に重要。だってこの前提からすると「学校も行ってないから自分は終わり」という感覚は錯覚ということになるから。ぶっちゃけ学校とか行かなくても全く大丈夫なんだよ。少なくとも私はそう思います。ただそのためにはいくつか必要と言うか、考えるべきことがある。でも結論から言えば学校とか行かなくても大丈夫だし、また学校行ってない人はある意味これを一つのチャンスと捉えるくらいの気持ちがあった方がいいように思う。

 

でもこんなこと言っても世間的にはまあ暴論でしょうし、まずは何故学校が絶対的なものじゃないかについてもっと考えてみます。

ではまず学校に行かなきゃならない理由は何か?学校にどういうメリットがあるのかと問えば

1 勉強

2 友達、コミュ力養成

3 「学校に行っている=怠けてない」

4 みんな行っているから行くのが当たり前。つまり不登校は「終わった奴」「変な奴」

こんなところでしょうか。4はこう思われないのが学校に行くメリットみたいになる。

まあ一見この4つは強くも見える。だから学校行かない本人はプレッシャー受けるし、親も相当悩む。

まあ不登校になってる人は親との関係が悪くなることも珍しくないと思う。でも親を責めるのはどうかなあ?多分、違う場合がほとんどじゃなかろうか。だって親は学校行って就職して結婚して子供作ってというのがほとんどでしょう。だから学校行かないとかいうこと自体が考えられないんだよ。だから頭から「ダメだ」となってしまう。でも今は昭和の時代と違って、学校行かなくても何とかなるし、また今から先はますますそういう人材が求められてくるから。だから重要なのはまずは学校行かない本人が学校に行かないということについて周りに流されない認識を持つことだと思う。だって自分のことなんだから。それは親にもわからないし、学校の先生にもわからない。彼等彼女らは「学校行く」の世界しか知らないんだから。学校に行かない本人は「学校行かない」世界の専門家にならなきゃ。だからまずは周りに流されない認識を持つ、それがスタートなような気がする。どういう認識を持つかは人それぞれと思う。だってそれこそ各人の人生のデッサンと深く関わるから。だから今日書いてるのもそういう考えをするときの一種のアシスト程度ですよ。あなたの人生の主人公は誰? その人が考えるしかないし、実はその方がメチャクチャいいんですよ!

 

ではまず、上記の学校のメリットの相対性について書きます。相対性というのは絶対的ではないということ、つまり「全て」ではないという意味ね。

まず勉強。これはある意味建前になってきてる。学校、特に公立学校は勉強が目的じゃなくなってきてる。でもこれは正常なことで勉強とか出来なくても生きていけるし、勉強より大事なことはいっぱいある。そしてこれが決定的だけど学校行かなくても勉強はできる。パナソニックを作った松下幸之助さんなんて小学校中退ですよ(笑)。2019年の世界資産家ランキングの日本人ワンツーの柳井正さんと孫正義さんは共に松下幸之助さんを非常に尊敬してますけどね。まあ結局本当に精神的に成長するには学校が終わった後での勉強が重要なんですよ。旧帝大クラス出ても人間性の貧しい人とかいっぱいいるし、勉強と学校とかあんまり関係ないよ。だから1のメリットはほとんど錯覚。実体がほとんどない。

次2、これは1より強い。友達は、うーんどうかなあ、やっぱいた方がいい。まあいなくてもいいんだろうけどね。でもいなかったら便利が悪くはなる。で「学校行かない=コミュ力が強くない」この推定も一応は成り立つと思う。「弱い」とまでは言えないだろうけど「強くない」は言えそうだよね。

でも2との関連でも学校は絶対的なものでは全くない。まず学校以外でも友達作れるよね。と言うか学校出たら学校以外の所しかないんだし(笑)。より重要なのはコミュ力だと思う。

まあコミュ力というのがどういうこと指すのかはよくわからない。人によればただバカ騒ぎするような仲間をいっぱい持てるのがコミュ力になるんだろうし、逆に極少数の親友と本当に人間的な関係を作れるのがコミュ力という人もいようし。だからよくわかんないんだけど、ここでは「人とうまくやっていけること、その力」をコミュ力としましょう。

で、この意味のコミュ力は重要と言うか価値と思う。なくてもいいがあった方がうれしい。でもコミュ力と学校ってあんまり関係ないと思うな。このコミュ力は結局本人の意向と優しさや誠実さ、表裏のなさ、バランス感覚、責任感などのミックスと思う。学校行けばコミュ力つくわけじゃないし、これも学校以外で全部できますね。

ただ学校行って友達いっぱい作れてる人は自然にそれができてるとは言えようね。換言すれば生まれつきコミュ力が相対的にある。逆に学校で友達一人もできない人は少なくとも現時点ではコミュ力があまりない。

でもコミュ力というのは大人になったら変わってきますよ。まず社会人になったら学生時代によくいるような失礼な奴が非常に少なくなる。そういう世界に入れば多いのかもしれないけど(笑)普通は少ない。で会社の場合は共通の目的がある。その共通の目的に貢献できる人は基本的にいい人間関係を持てる。学校とか、まあ先生方は頑張ってるのかもしれないが、ぶっちゃけ目的とかないじゃん。毎日ダラダラ過ごしてるとも言える。でも会社は売上高とか「こういう商品を作る、サービスをする」「お客さんにこうなってもらう」という共通の目的があるから。だから学校と違い「何しに行ってるかわからない」とかないし、本人がやる気を出せばどこまでも頑張れるところだよ。確かに事業や商売というのは厳しいのだが、それだけにみんなと協力する必要があるし、目的に貢献できる人は大事にされる。社長が変な人の会社はそうじゃないかも知れないけど、小さい会社でも普通はそうだよ。完全にそうと言うわけじゃないとしても基本はそうみたいな。やっぱ儲けられないと潰れるからね。でお客さんを騙して儲けるみたいのは本当長続きしないからね。ともかく儲けの原動力になれれば基本は会社での人間関係も上手く行く。だから今はコミュ力持ててない人でも後になったらコミュ力ある方になるって場合も全然あると思うのよ。特に今の学校の粗野で幼稚で目的ないところが嫌な人はそうかもしれないと思います。就職とか今は遠く見えるかもしれないけど、学校に行かないからこそ、これは今から考える必要がある。まあガチガチに考える必要はないし、ガチガチに考えても後で変わるからあれだけど、一応就職ということを視野に入れた人になった方がいい。で今はコミュ力ない人でも就職したらコミュ力ある人になることは全然よくあるということ。例えばね、学校だったら「真面目」をバカにする要素にする人達もいるけど、会社じゃ逆だからね。真面目に仕事に取り組む人は少々内気であっても、とても良く扱ってもらえる。コミュ力ある人になるのは全然可能なんだよ。

ただね、ここで重要なことが一つあって、そういうコミュ力ある人になるためには精神にある種の健全性が必要ということ。例えば人の気持ちを非常にひねくれたように解釈し「あの人は~」とか思ったり、被害妄想みたいのがあって「いつも自分は不利に取り扱われてる」みたいに思ったり、「どうせ自分は駄目なんだから」と投げやりだったり、何かあったらすぐ自慢みたいのをしマウントばっかり取りたがるとかだったりすれば、厳しいかも。まあ何が魅力とか人それぞれだけど、一般的にはね。真面目に仕事に取り組んでもそういうところがあれば、やはりコミュ力が弱くなるかもしれない。

でも、いじめられたら心に傷が付く。本人には屈辱であり、屈辱を強制されたらパーソナリティの根幹に重大なマイナスを与えられる危険性が結構ある。

だからここで結論が逆説的になる。2のコミュ力は重要。しかしそれが重要なら重要な程「無理して学校に行くべきではない」となる。学校が将来のコミュ力の芽をつむ所になってるなら、コミュ力養成どころかコミュ力潰しの場所になってるんだよ。そういう所に行く必要はないよね。無理に行かせるのはおそらく非道徳的とすら言えると思う。

学校行かないことは一見コミュ力がない人間にしてしまうようにも見える。しかし無理に学校に行く方が深刻なダメージを受ける危険が大きい。コミュ力は学校に行かなくても持てる。無理に学校に行くよりも、自分や社会のことを考え、いいところを見つけて行ったり将来自分がやりたいことを見つけたりすることの方がコミュ力養成につながるよね!

 

うーむ、また長くなってきてしまった。だから3と4は次回書くことにします。このまま書いたらどっちか手抜きになるし、絶対(笑)。

でも今日のでも学校というのが絶対じゃないことの半分くらいは見えたと思う。確かにそうだからね。いろんな意味で言いにくいことなので言う人が少ないけど。

でもともかく学校が絶対とかあるわけない。学校が絶対だったら政府も企業もアメリカもヨーロッパも何もいらないよ(笑)。