SS~いじめ・パワハラについて考察するブログ

いじめやパワハラについて考えていきたいと思います!

ネットいじめ

ふでは今日のテーマ「ネットいじめ」行きます。

最近多いみたいですね。私も先日知り合いの娘さんがネットいじめみたいのにあって相談に乗ってくれとか言われました。

まあネットいじめとか言っても見なきゃいいだけじゃんとか思っていたけど本人はどうもそうじゃないようで大変落ち込んでました。

今はネットいじめが原因で不登校になったり、心身のバランスを崩したりしてる人が大分いるみたいですね。まあ私の知り合いもそうなんだけど、このネットいじめについてはいわゆる大人・社会人になってる人と、学生と言うか青少年の人達は受け取り方が違うんだね。だからね、言っても多分よくわからないと思う。親とか先生とか。大人は「そんなの見なきゃいいだろ」で終わり(笑)。「そんな気にかける必要ないよ」とか(笑)、いや笑ってるけどそれが第一の普通の反応なんだよ。私もそうだし。別に悪意もないしバカにしてるわけでもない。やっぱ私達が子供の頃はラインとかツイッターとかなかったから多分わからないんでしょうね。でも今回の相談受けてて若干わかった。テレビの芸能人が5ちゃんで悪口ばっか言われるのとも違うんだね。自分をある程度実際知っている人達から悪口言われるのは結構こたえるもんだと。「見なきゃいい」と言われて見ないようにしたんだけど、それでも嫌だ、学校行けないみたいな感じになるようです。

私達の世代であれば例えば「◯◯達が~であんたの文句言ってたよ」みたいなもんですかね。こういうのは昔からあった。でそんなの聞いたら確かに非常に嫌な気持ちになっていた。不良の人達はそういうのからよくケンカとか一方的に殴ったりしてた(笑)。それで学校行けないとかまではなかったと思うけど結構ブルーな気分にすることはあった。

多分「ネットいじめ」もそういうのと同じと思う。井戸端で行われる悪口大会みたいな。

ネットで自分への悪口のような内容を見つけるとヒヤッとする、でも基本それだけ、それ以上の実害があるわけではない。なのに「ネットいじめ」が何故苦しめるのか?「ネットいじめ」はある部分を刺すんだと思う。肉体は刺さないけど心を刺す。で心のどこの部分を刺すんだろう?多分自信のなさや不安感、ここを刺すんだと思う。

で自信がないとか言ったらごく一部の気の弱い人のみ対象になるようにも聞こえるけど、そうじゃない。この自信のなさや不安感は漠然としたそれも含む。「◯◯だから自信がない」のような特定の自信のなさに限られない。だから青少年は大体みんな含まれると思います。青少年は漠然とした自信のなさや不安感を持つ時期というのは青年心理学ではほとんど前提で、しかも実際ほとんどの場合で当たってるから。青少年は高いプライドとそれが満たされるのか?という疑問・不安のはざまで生きてるようなところもあると思う。だから漠然とした自信のなさや不安感を持つのも仕方ない。でこれは自分に期待している、夢を持ってることの裏返しだから、根本的にはいいことなんだけど、自信のなさや不安感が強い主導権を持った場合は不健全になる。ネットいじめは自信のなさや不安感に強い原動力を与えるから、結果不健全を導いてしまうんだと思う。

 

ではどうするか? まずはこういう仕組みを知ることだね。ただやみくもに不安や闇と戦っていてもストレスが溜まるだけだよ。自分が戦っている相手は何かを知ることの方が戦略として優れてるよね。

じゃあ何と戦っているのか?悪口書いてる相手じゃないよね。悪口書いてる相手は主役じゃないから。一種の媒体に過ぎない。自分を苦しめてるのは、自分が戦っているのは、自分の自信のなさ・不安だよね。悪口により自信のなさや不安が頭をもたげる→「自分はみんなに嫌われて価値がないんじゃなかろうか」VS「こんなの嫌だ。自分はもっと安全に楽に生きたい。できれば尊敬もされたい」この戦いが生じているんだけど後者が負けそうになっている、だから苦しいきつい泣きたいとなっている。大体こんな感じじゃないだろうか。この仕組みをを知る。ここで自分の戦うべき相手がわかる。自分の自信のなさや不安だよね。悪口言ってる奴も確かに悪いけど人には好き嫌いの自由もあれば言葉をしゃべる自由もある。だから完全にはなくならないよ。もし今回教育委員会などの圧力をかけて黙らせたとしても一年後は誰か他の人が悪口言うかもしれない。二年後は?三年後は?そして大人になったら誰も守ってくれないんだから。デタラメに常軌を逸したレベルであれば裁判で勝てるかもしれないが、裁判で勝つのは時間金銭労力の面でものすごい負担ですよ。世の中には変な人もいて、根性悪い人もいっぱいいる。その中でそういう戦略を取るのは非常にマズい気がする。勝てる場合がかなり限定されて、且つ勝とうが負けようが同じだけの時間労力、負ければより多額の金銭がかかるんだから。ある意味破滅的な戦略だと思う。だからそんなのよりポイントを突くんだよ。それが効果的。そういう悪い人達が傷付けたところを少々のことじゃ傷付かないようにする、こっちの方が良くないですか?

じゃあどうやって、傷付かないようにするか。まずはどこに自分の強味があるか考えることだと思います。自分の強味がわかったら自信のなさって結構消えると思う。

まあこれについてはこのくらいしか言えない。本気でこのテーマに取り組んだらわかる。まあ「自分の強味」というのは私の論の重要概念なのでいつかこれについて書くこともあるかと思います。

 

一方不安は全部は消えないから。不安がない人って聖人並にすごい人と思う。不安があるからこそ愛があるというようなところもあるからね(結婚届出した途端愛がなくなったというカップルは少なくない笑)。だからこれはあっていいの。でも不安に支配されるのはビクビク怯えて生きるのに近い。そこで自分はどちらを選択するかですよ。不安もあるけど不安に支配されない人間になることを選ぶ、とすればもうそれでいいんだよ。少々悪口言われたところで不安に大きな力を与えたりしない。鈍感であっていいんだよ。鈍感力とかいう言葉もあったじゃん。こういう信念的な強さに裏打ちされた鈍感は単なる鈍感じゃなく鈍感力だと思う。

でこういう風になって行ったら少なくとも学校行きたくないとかまではならない。私が相談した娘さんも今は学校行ってますよ。自分には何の強味があるかを真剣に考え、将来何になろうかという考えにも少しつながってきてますよ。

こうやってブログに書いたりしたらどういう人が読んでるかわからないし、中には私の論では全然通用しないようなハードモードにある人もいるかもしれない。だからできるだけ一般化し適応範囲を広げなきゃならないんだけど、その反射として書いてる内容も難しくならざるを得ない。でも言ってること自体はそんなに難しくないから。

①ネットで悪口言われて苦しい、怖い

②でも自分が戦ってるのは悪口言ってる相手じゃなくて、自分の自信のなさや不安なんだよね

③自分の強味は何か。自分は何が好きで、何に適性があるか

④多分これがいいかな。まずはこれでやってみよう

⑤自分は不安に支配された人間になることを選択するのか

⑥自分は不安に支配されない人間を選択すると決める(推奨)

自分の置かれてる立場で具体的に考えたらそんなに難しくないでしょ?

だからこれ、これだと思う。

「ネットいじめ」は物理的にはほとんど存在しない(例えば日本語が読めないアメリカ人にすれば変な模様みたいのが並んでいるだけだろう)。ただそれは心に刺さる痛みを与える。でもそれを機に自分のことについていろいろ考えられたとすればかなり良かったじゃないですか。他人の悪口を言って喜んでいる連中とは差がつく生き方につながりうると思う。