SS~いじめ・パワハラについて考察するブログ

いじめやパワハラについて考えていきたいと思います!

3つの理由

①権力志向②ギャグ③農民気質、今のところ、この3つがいじめの主原因と思います。むろん他の原因もありうるし、特殊な具体的事情が決定的な原因となっている場合もあるでし。厳密には、いじめの原因は「ケースバイケース」としか言えないのかもしれません。一つ一つの事象を大事にすればするほどそうなる。しかし「ケースバイケース」というだけでは何も解決しないんだね。何の指針にもならない。

いじめは、強烈なものであったとしても、何か「曖昧模糊」としたものでもあると思う。公式的に行うことはしない(できない)し、何らかの正当な根拠や生産的利益を目指して行われるものでもない。人と人の間の空気が険悪になり、そこから生まれる態度や行動が重なることにより徐々に「いじめ」という悪魔の城みたいなものが出来上がるんじゃなかろうか。

でもそういうものだから、いじめの被害者は本当怖いと思います。被害者じゃない人も仮に自分がいじめられる側に回ったらと考えたらかなり怖いと思う。何だかわからない全体的な圧力や対立感が自分に向かって襲いかかってきて、大抵の場合自分より友達が多かったり腕力が強かったりする相手が「敵」として立ってるんだから。地震とか台風に類するどうしようもなさすら感じるかもしれない。でもその相手が何故「敵」として立っているかは単なる自然現象ではないと思う。相手はいろいろ言うでしょう、「おまえは◯◯だから△△」みたいな。だからいじめられる、みたいな。しかしこれが当たっていることはほぼないと思う。◯◯でもいじめられてない人はたくさんいるし、また仮に◯◯な人がいてもそれを指導する権利などあるわけないとは当然以前の当然としてわかると思うからです。つまりそれは口実です。端的に言えば気に食わないからいじめてるんだよ。で何故気に食わないかと言えば大体上の3つの理由のいずれかと思うのです。そのエネルギーがいじめを生む、そう思ったのです。

 

3つの理由を先に挙げることには「理論的みたいなことを知ってもしょうがない」という反論もあると思います。でも僕はこの3つの理由を挙げることには意味があると思います。

まず先にも言ったようにいじめはいじめる側にとってもいじめられる側にとっても本来空気のようなものであり、それが何故そこにあり、気持ち良くない状況を作るのにもかかわらず何故続くのか、よくわからない。よくわからないから統制できない。だからいじめる側もいじめられる側もいじめという渦に飲み込まれやすい。いじめる側は多少学校的に、

また親的に問題になってもいじめをやめられず、いじめられる側はともかく怖い、自分が嫌になり時には死にたくなるくらいの気持ちになる。いじめが悪魔の城のようなよくわからないものである結果、どちらもいじめという状況に圧倒されやすい、ということだと思う。でもこの3つの理由を知れば圧倒されにくくなると思うんです。孫子兵法書に「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」というのがありますが、この3つの理由を知ることは「敵を知ること」の一環になると思う。圧倒される必要はないんです。①権力志向②ギャグ③農民気質、大体この3つのいずれか或いはミックスなんだから。どれもあまり価値あるものじゃないよ(ギャグは価値ではありうるけど他人を傷付けて得る面白さなんて価値ないよね)。いじめる側が自分は偉そうにしてるけどその理由が上の3つに過ぎないとわかれば、いじめをやめやすくなるんじゃないでしょうか。「もうこんなバカらしいことやめて他にすること探そうぜ」となりやすい。いじめられる側も過度に自己否定する必要はなくなる。自分がブサイクだから、いけてないから、カッコ悪いからいじめられるという図式が誤りとわかるんだから(いじめとブサイク、いけてなさ、かっこ悪さについては近いうちに改めて書きます)。いじめに圧倒される度合いが減るから、自分のすべき道が前よりは見えやすくなるんじゃないでしょうか。

一番いいのはいじめる側がいじめようとか思わなくなることであり、いじめられる側が多少向かい風が強い時期にも自分を見失わず自分の人生を歩いて行けることだと思う。しかしそのためには学校機構や法律上の権利義務など外部から力を加えるだけでは足りないと思う。

まあこの3つの理由が当たっているかどうかはわからない。でも厳密正確に理由を追求すればそれだけで終わってしまうので、さしあたりこの3つを主原因と思って以降の考察を進めて行きますね。理由を変更追加する必要が生じた場合は追加変更するかもしれません。